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Twitter、君がみているだろうから俺に会いたくなること書くよ

友人が、フラれた元彼女に向けたメッセージをTwitterに書いていて、なんでそんなことするんだと引き気味に驚いた後で、しかし自分にも身に覚えがあるぞ、と思い直す。

 

昔、彼氏のいる、3つ年下大学の後輩を好きだった頃のことだ。

自分としては大恋愛というカテゴリーに入れたくなるほど、生活をむちゃくちゃに破壊していった恋だった。

彼女からすると相当に迷惑だったと思う。

好きになるのは事故みたいなものだからしょうがない、と自分に言い訳していたけれど、今考えると先輩が言い寄ってくるなんて絶対にめんどくさい。

まず、なるべく失礼のないように、穏便にお引き取り願おうとするだろう。すると、拒絶の中に好意がないわけではないんですよ、というニュアンスが入ってくる。

理性を司る器官が恋の熱で焼け落ちた人間は、これを本物の好意で、まだチャンスがあるのだと勘違いしてしまう。一度ちょっとでも受け入れられたという記憶は希望で、このカケラのような希望が刺さった状態が恋愛においてもっともやかっかいだ。

 

ぼくの場合、一回フラれた後は、まあ年上の余裕をみせちゃろうと別に「告白後も普通に友達だし?」というていで接していた。

ところが女の子の方はもっと余裕で、告白の後も、気まぐれに我が家にやってきては漫画を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり、昼寝をしたりして帰っていく。もちろん彼氏がいるので、だれにも内緒で。

お互いの気持は表明しあっているので、恋愛の駆け引きみたいなものはもうなかったから、ある意味つき合っているよりも楽な関係だった。

それで、お互いどんどん開けっぴろげになっていった。

嫌いな奴のことや家族のこと、初体験やへんな性癖の話。本当は好きだけどあんまり人に言えない本。「Iggy Pop Fan club」みたいな日々だった。

一緒にいるのがひたすら楽しかった。声に出して本を読むのが好きな子で、好きな子の声で聞く好きな小説は最高だなって思っていた。

 


Iggy Pop Fan Club - Number Girl

 

ある夜、近くの駅にいる、とその娘から電話がかかってくる。

慌てて迎えに行ったら、泣いていた。ポツポツと事情を話す声を聞きながら、足は自然とぼくの部屋に向かう。女の子の終電は、間もなくなくなる時間だった。

道すがら、彼女にあわせてぼんやり神妙な顔を作っていたが、脳みそは人生最大の速度で計算をしていた。

その日、とある事情でたいそう落ち込んでいる男友達が泊まりにきていて、慰めるというか、話を聞いてあげる約束をしていたのだ。

落ち込んでいなければ、事情をはなし、なんならタクシー代を出して埋め合わせは今度と手を合わせればいい。しかし彼は、完膚なきまで落ち込んでいた。

友達と、女の子。

結局選べず、3人して世界の終わりみたいな顔をして川の字になって寝た。

翌朝、2人は帰っていって、それから女の子は家に遊びに来なくなった。

 

ぼくが本当にめんどくさいやつになったのはそれからで、とにかく会いに行っては告白した。つき合いたいというより、特別な関係だと思っていた女の子が家に来なくなってしまうことが耐えられなかった。

あんなにお互いのこと話したし、寂しい時頼ってくれたじゃんか、と思っていたけど、彼女にとっては特別なことでもなかったのか、あるいはそういうことと恋愛は、全然別モノなのかもしれなかった。あの晩、別の選択をしていればあるいは、という想像を布団の中で何度もした。

やがてメールも返ってこなくなって、本格的に会えなくなった。

バイト以外では家から出ず、ベロンベロンに酔っ払わないと寝られなくなる。

 

それからぼくはあまり興味のなかっったTwitterで、日々のことをつぶやくようになった。見ているかもしれないから、とあの娘が好きだった作品の話題を織り交ぜる。暗いやつと思われたくないから、なるべく楽しそうなことをつぶやく。

誰に読まれたのか分からないように、読まれなかったかどうかも分からない。

そういう希望は、失恋を長引かせるかもしれないけれどやっぱり希望で、それがなにかを生み出したり、人の心を動かすことはあると信じたい。

 

どうしてこんなことを書いたかというと、最近やっぱり落ち込むことがあって、友達に枡野浩一の『あるきかたがただしくない』を勧められたからだ。

週刊誌の連載が主としてある本なのだけれど、どんなネタを書いていても気がつくと会ってくれない離婚した奥さんと、会わせてもらえない息子の方向に話題が逸れ、気がつくと元奥さんに語りかけている。

届けることができない手紙を、届くかもしれないからと、公衆の面前に晒すということをTwitterが出てくる前から引き受けているセンパイがいることに、勇気づけられた。(それで、昨日からタイトルが短歌になった)

 

あるきかたがただしくない

あるきかたがただしくない

 

 

何年か経って、くだんの女の子と再会したら、昔ぼくが勧めた小説家や映画監督をいまだに追いかけいて、この子の中にもちゃんとあの時間はあったのだな、と嬉しくなった。

僕はというと、今では恋愛感情や辛かったことは忘れてしまって、ただ一緒にいた時の愉快な気分だけ思い出す。倫理的にどうなん、と言われかねないへんな状態、というか客観的にみると単にその娘の浮気だったのかもしれないけれど、自分の中では女の子との関係の理想形になっている。

だから、またそのうち猫みたいにうちにやってくればいいのにと思わないでもない。