面接が君の住む街の近くであって、楽しい想像をした
昔好きだった女の子が住むはずの街の近くで、面接があった。
ここに入社したら365日とは言わないまでも、年間200日くらい通うことになるだろう。5年勤めたら1000日くらい、この駅を使う。
1000日もあったら1日くらいは、彼女とすれ違うのではないか。
彼女は赤ちゃんを抱いていて、こちらをみてちょっと驚いて目を見開いて、僕は電車に乗ろうとしていたのだけど、思わずホームに留まる。
元気?と僕は聞く。
元気です、と彼女は言う。
幸せ?と聞く。
幸せですと笑う。
彼女と手を繋いだことがあって、でもその時、きっと付きあうことはないことは分かっていて悲しさのあまり「やがて君は男の子を生む。その彼を散歩に連れ出し手を繋いだ瞬間、ふと俺とこうしていたことを思い出すであろう」と呪いめいたことを吹き込んだのだった。
彼女は本当に気持ち悪いものをみる目でこちらをにらみ、現実になりそうだからやめて下さい、と言った。
彼女が連絡をくれなくなったのは、もしかしたらこの発言が原因だったのかもしれない。
だから、僕はその娘が抱いている子供が男の子が女の子か聞くことができなくて、そうこうしているうちに次の電車がきて、これに乗らなければ遅刻だといって僕は電車に飛び乗る。
彼女は子供の手をとって、バイバーイとやる。
という妄想をしたら、すごく幸せな気分になった。
ということを友人に話したら、末期だ、というような顔で『秒速五センチメートル』とか観たらやばいんだろうねと言われた。
やっぱり気持ち悪いものをみる目をしていた。
しまいには退屈しきって僕たちは、なんだかたき火ばかりしていた
いっくんが学校に来なくなった理由はよくわからなかった。
野球部ではエースだったし、切れ長の目をしたちょっと悪そうな容姿で女の子にモテた。喧嘩っ早くて、強くて、だけどいつも面白いイタズラを考えるから、周囲には笑いが絶えない。
ちょっとガラの悪いいっくんを中心としたグループを憧れながら、すこし怖がりながら、遠巻きにみていた。
いっくんちに行こうぜと誘われたのは、彼が学校に来なくなってからしばらく経ってからだった。
誘ったのは野球部でいっくんとよくつるんでいたまーちゃんという友達だ。
学年一のイケメンで、愛嬌もあったので同級生だけでなく先生や親からも好かれていた。
僕とはまったくタイプの違う彼となぜ仲良くなったのか、いまだによく分からないが、家が近所だったということが大きな要因なのは間違いない。
あとは僕がまーちゃんの誘いを決して断らなかったからだろうか。
いっくんの家は農家で、庭はバスケができるくらい広かった。
母屋は古い日本家屋だった。
不安げに玄関で待っていたいっくんのおばさんに連れられて、玄関の真ん前にある階段を登ると、いきなり真新しい洋室が並ぶ廊下が現れる。
部屋の前まで案内すると、おばさんはそそくさとその場を離れた。
おばさんが下に階に降りた後でドアが開いて、いっくんが顔をだし、くしゃっと笑った。
まーちゃんは勝手知ったる様子でずんずん部屋の中に入っていく。おっかなびっくり後に続く。
真新しい部屋の壁に、なぜかこぶし大の穴が空いて、それがドラマじみた荒れた家の演出に思えた。
部屋の真ん中、床の上に一台デスクトップのパソコンが置いてあって、他にはなにもなかった。空っぽだった。
いっくんとまーちゃんはパソコンの前にドカッっと腰掛けた。僕は2人の後ろから肩越しに画面を覗き込んだ。
WinMXというP2Pソフトが立ち上がっていたのだけれど、そのとき僕はそれがなんなのかよく分かっていなかった。
ただ、いかがわしい名前のついたファイルが、次々ダウンロードされていることは察しがついた。
すごいだろ?とまーちゃんが笑った。めちゃくちゃ回線が早いんだよね。
お前、こんなのみちゃって大丈夫?といっくんも笑った。
それから数時間、思春期の好奇心と残酷さを総動員して集めた珠玉のエログロ動画を延々見せつけられる。
いっくんはスプラッタや真偽不明のスナッフムービーが大好きで、一番残酷なところでいきなり音量を上げて僕らを驚かせては、わざとらしくえずいたフリをして爆笑した。
見せられた動画のほとんどにはっきりと嫌悪感を持った。
帰り道、もう子供には戻れないのだという謎の感傷が押し寄せてきて、まーちゃんについていってたこと、罪深い動画をみてしまったことを後悔した。
それでも、またまーちゃんに誘われるたび、いっくんの部屋についていくのだった。
喜んだのはいっくんのおばさんで、不登校になった息子を心配した友達が連日様子を見にきてくれる、と僕たちの担任に報告した。
担任は深く感銘をうけたらしく、いつでもあいつのところへ行ってやれ、そして学校に連れ出してきてくれ、と肩を叩いた。
そんなわけで僕たちは、堂々と学校をサボっていっくん家に遊びに行けることになった。
不登校ではあったが、いっくんはべつに部屋から出られないわけではなかった。
むしろ数日間家に帰らないこともあった。なにがあったのか聞くと、隣町の女子高生と仲良くなって部屋に泊めてもらっていたという。
セックスもしたよ、こともなげに言った。
僕は、中学生が本当にセックスなどできるのか、そもそも女子高生とはいえ女の子の家に泊まることなんてできるだろうかと訝しんだ。まーちゃんは、俺が学年で最初に童貞を捨てるつもりだったのに、と悔しがった。
(その後、学年でおそらく2番目に童貞を捨てた)
隣町の女子高生はエロいという情報から、まーちゃんがやたらと隣町に行きたがるようになった。それでいっくんのお婆さんのスーパーカブをこっそり拝借して3人乗りで田んぼ道を走って隣町を目指した。
女の子達とはちょっと話しただけでそんなに仲良くなれなかった。そんなことよりもバイク3人乗りの方が楽しいことに気がついて、しばらく土手をバイクで駆け下りたりチキンレースやアクロバットな乗り方を開発したりした。
2人はいつも必死で退屈と戦っているみたいに、次々に新しいイタズラを思いつく。
僕はゲラゲラ笑いながらただそれについていった。
チキンレースの果てに、ついにスーパーカブが大破してこっぴどく叱られ、カブの鍵は封印されることになった。
その頃には大量にダウンロードしたはずの動画はいつの間にかほとんどみ尽くしていた。
それで今度はTUTAYAから大量に映画やドラマのDVDを借りてきた。
1番のお気に入りは『池袋ウエストゲートパーク』で、窪塚洋介が僕たちのヒーローだった。
画面の中の東京ではいかつくて愉快で最高にカッコいい不良達が走り回っていてた。
DVDを観終えてしまうと、いっくんの家の納屋にあった『smart』とか『Boon』とか『Ollie』みたいな大量のファッション雑誌を部屋に運び込んで、まったく買うあてのない洋服の情報を仕入れたり、コラムやレビュー、ストリートスナップの背景にある東京に思いを馳せた。
東京へ行こう、と誰ともなく口にするようになった。
しかも、ただ行くのではない。
髪の毛を染めて、海でナンパをする。そこでゲットした女の子たちと渋谷の109で買い物し、それから池袋ウエストゲートパークにいく。
いっくんもまーちゃんも久々に興奮していた。
僕も熱に浮かされたように東京のことばかり考えていた。
夏休みに入ってすぐ、少しパーマがかった猫っこ毛が茶色くなって、『smart』のスナップに登場してもおかしくないんじゃというほど垢抜けたまーちゃん、赤っぽく脱色してますます危険な色気を漂わせているいっくん、そして、染め方がわからず髪の毛に絵の具を塗ったくった僕が地元の駅に集合した。
カピカピになった僕の髪をみたまーちゃんはそんなんでナンパができるわけないだろうと激怒し、いっくんはそれをみて爆笑していた。
結局、駅のトイレで頭を洗った。
ナンパをする予定の湘南に着いてすぐ、場違いだということに気がついた。
学年で何番目とか、学校で有名とか関係なく、僕たちは童貞か、ほぼ童貞の中学生でしかなかった。
僕といっくんは早々に水着の女の子達を眺めるのをやめ、中学生らしく普通に海で遊び始めた。
まーちゃんだけが女の子に声をかけようと粘っていたが、やがて諦めて、渋谷に行こうと言った。
109はなんとなく渋谷っぽい、都会っぽいという理由で目的地のひとつにセレクトされた。
中に入るまで3人ともそこが女性向けのビルだということを知らなかった。
エスカレーターで最上階まで上がって、その事実を確認するとすぐその場所を後にした。
砂浜を走り回った砂だらけの足は棒のようだったが、夏休みの渋谷は、ヘトヘトになっても座る場所すらみつからなかった。
それでも、僕たちには最大の目的である池袋ウエストゲートパークがあった。
危険地帯に向かう緊張感と、人生を変えてしまうような出会いへの期待で、山手線ではみんな口数が少なくなった。
池袋西口公園に、不良はいなかった。
そこではおじいさん達がブルーシートを敷いて酒を飲んでいた。
仕方なく町を歩いて、小遣いではとても買えないような高い服を眺めた。
行き交う人はまるで僕たちに無関心で、事件も出会いも起こりそうになかった。
夏休みが明けるとクラスメートはいっくんが家族に暴力を振っていると噂をするようになっていた。
いっくんのおばさんが、誰かの母親にそう話したのだという。
僕はそんなはずないと否定したが、たまにみせる嗜虐的な表情をみんなが覚えていたからか、妙に信憑性を持って語られていた。
そんな噂も、進学の話題でいつの間にか聞こえなくなった。
まーちゃんは頭が良かったのでほとんどの高校に進学できる成績だったが、金銭的な事情で落ちる可能性のある難関高校は受験できなかった。
それで、可愛い女の子が多いという高校の情報を独自ルートで収集し、最も表が多かった高校に行くと宣言した。
うちは裕福ではなかったが、親がどんな高校を受験してもいいといってくれた。
自分の成績でも問題ない高校を上から3つ選んだあとで、なんとも情けない気持ちになったのを覚えている。
受験が近づいたので、いっくんの家に行くのは控えるように言われた。
すると退屈したのか、受験を意識したのか、いっくんも学校に顔を出そうかと迷う素振りをみせるようになった。
それである日、僕とまーちゃんが迎えに行って、3人で学校へ向かった。
校門に近づくと、突然クラスメート達が総出で駆け寄ってきて、いっくんを取り囲んだ。
友情ドラマじみたシチュエーションに高揚して誰もが熱っぽくお帰りと声をかけた。
いっくんはずっと黙っていた。
ただ、激しく怒っているのが分かった。
次第にみんな魔法が解けたみたいに口を閉ざし、後ろでみていた教師が解散を宣言すると、そそくさと教室に帰っていった。
僕は罠にかけるつもりじゃなかったというような言い訳をした。
本当は、教師がなにか企んでいることに感づいてはいた。
まーちゃんは黙っていた。
いっくんはちょっと笑ってから、帰るねといった。
しばらくして、いっくんは特別学級に通うようになった。
学校で会っても話すことはなかった。
それから僕たちは、夜な夜な家を抜け出して集まるようになった。
ゲームもパソコンも遊び倒したし、漫画も雑誌も全て読んでしまったので、だだっぴろいいっくんの家の庭にあったドラム缶に火をくべて、それを眺めながらポツポツ話をした。
なにを話したのかよく覚えていない。
ただ、僕たちは朝までたき火が消えないようにそこら中にあるものをドラム缶に放り込んで、燃やし続けた。
恋をする。一人称を変えてみる。成長痛でねれない夜に。
「僕」「俺」「私」という三つの一人称を使い分けている。
一番使い古しているのは「僕」で、小学校の5年生くらいまで「僕」を使っていた。
田舎だったから(?)なのか、周りの友人達はみんな「おれ」(アクセントが頭にくる、どちらかというと「おら」に近い発音)を使っていたので、自分が少々おぼっちゃんぽいということは自覚していたのだが、なんとなく「おれ」を使うと母親が悲しむような気がして「僕」で通した。
一人称を矯正された記憶はない。
今考えるとたぶん、テレビをあまり見せてもらえない家だったことが影響しているのではないかと思う。
他の子達はみんなバラエティ番組やドラマの影響で「俺」を使っていたのだろう。
なぜ、アクセントが頭に来るのかは謎だ。ぼくの周りだけなのだろうか。
女子の目が気になる年頃になるとみんな自然に「俺」(一般的な発音)にスライドした。時を同じくしてぼくは初めてつき合いたいと思う女の子ができて、一人称を「俺」にすることにした。
自分のことを「ぼく」なんて呼ぶやつは女の子と付き合えないだろうと浅はかな算段で、それまでのアイデンティティをあっさり捨てた。
しばらくは演じている感が拭えなかった。その娘の前で「俺」と言う度に笑われるんじゃないかとヒヤヒヤした。
当時、はやみねかおるの『名探偵夢水清志郎事件ノート』という子供向け推理小説のシリーズが大好きで、その中に出てくるレーチというキャラクターが
現実社会ではぼくはじぶんのことを「おれ」とよんでいるけど、思考の中では「ぼく」−−−−まだ自身のない成長過程のガキだ。じっさいに自分のことを思考の中で「おれ」とよべるようになったとき、ぼくはきっと、一人前になったようなきがするんだろう。
ということを言っていて、ああ自分だけではなかったのだとホッとして、いつか新しい一人称を使いこなすのだと誓ったのだった。
現実社会と思考の人称がピタッと合う日は(少なくとも30歳になる現在までは)きていない。むしろますます混迷を極めている。
お父さん→親父というスライドは成功したけど、お袋とは呼べず、いまだに女の子と話す時は笑われるんじゃないかとヒヤヒヤしている。
踊る夜光怪人 名探偵夢水清志郎事件ノート (講談社青い鳥文庫)
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- 出版社/メーカー: 講談社
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Twitter、君がみているだろうから俺に会いたくなること書くよ
友人が、フラれた元彼女に向けたメッセージをTwitterに書いていて、なんでそんなことするんだと引き気味に驚いた後で、しかし自分にも身に覚えがあるぞ、と思い直す。
昔、彼氏のいる、3つ年下大学の後輩を好きだった頃のことだ。
自分としては大恋愛というカテゴリーに入れたくなるほど、生活をむちゃくちゃに破壊していった恋だった。
彼女からすると相当に迷惑だったと思う。
好きになるのは事故みたいなものだからしょうがない、と自分に言い訳していたけれど、今考えると先輩が言い寄ってくるなんて絶対にめんどくさい。
まず、なるべく失礼のないように、穏便にお引き取り願おうとするだろう。すると、拒絶の中に好意がないわけではないんですよ、というニュアンスが入ってくる。
理性を司る器官が恋の熱で焼け落ちた人間は、これを本物の好意で、まだチャンスがあるのだと勘違いしてしまう。一度ちょっとでも受け入れられたという記憶は希望で、このカケラのような希望が刺さった状態が恋愛においてもっともやかっかいだ。
ぼくの場合、一回フラれた後は、まあ年上の余裕をみせちゃろうと別に「告白後も普通に友達だし?」というていで接していた。
ところが女の子の方はもっと余裕で、告白の後も、気まぐれに我が家にやってきては漫画を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり、昼寝をしたりして帰っていく。もちろん彼氏がいるので、だれにも内緒で。
お互いの気持は表明しあっているので、恋愛の駆け引きみたいなものはもうなかったから、ある意味つき合っているよりも楽な関係だった。
それで、お互いどんどん開けっぴろげになっていった。
嫌いな奴のことや家族のこと、初体験やへんな性癖の話。本当は好きだけどあんまり人に言えない本。「Iggy Pop Fan club」みたいな日々だった。
一緒にいるのがひたすら楽しかった。声に出して本を読むのが好きな子で、好きな子の声で聞く好きな小説は最高だなって思っていた。
Iggy Pop Fan Club - Number Girl
ある夜、近くの駅にいる、とその娘から電話がかかってくる。
慌てて迎えに行ったら、泣いていた。ポツポツと事情を話す声を聞きながら、足は自然とぼくの部屋に向かう。女の子の終電は、間もなくなくなる時間だった。
道すがら、彼女にあわせてぼんやり神妙な顔を作っていたが、脳みそは人生最大の速度で計算をしていた。
その日、とある事情でたいそう落ち込んでいる男友達が泊まりにきていて、慰めるというか、話を聞いてあげる約束をしていたのだ。
落ち込んでいなければ、事情をはなし、なんならタクシー代を出して埋め合わせは今度と手を合わせればいい。しかし彼は、完膚なきまで落ち込んでいた。
友達と、女の子。
結局選べず、3人して世界の終わりみたいな顔をして川の字になって寝た。
翌朝、2人は帰っていって、それから女の子は家に遊びに来なくなった。
ぼくが本当にめんどくさいやつになったのはそれからで、とにかく会いに行っては告白した。つき合いたいというより、特別な関係だと思っていた女の子が家に来なくなってしまうことが耐えられなかった。
あんなにお互いのこと話したし、寂しい時頼ってくれたじゃんか、と思っていたけど、彼女にとっては特別なことでもなかったのか、あるいはそういうことと恋愛は、全然別モノなのかもしれなかった。あの晩、別の選択をしていればあるいは、という想像を布団の中で何度もした。
やがてメールも返ってこなくなって、本格的に会えなくなった。
バイト以外では家から出ず、ベロンベロンに酔っ払わないと寝られなくなる。
それからぼくはあまり興味のなかっったTwitterで、日々のことをつぶやくようになった。見ているかもしれないから、とあの娘が好きだった作品の話題を織り交ぜる。暗いやつと思われたくないから、なるべく楽しそうなことをつぶやく。
誰に読まれたのか分からないように、読まれなかったかどうかも分からない。
そういう希望は、失恋を長引かせるかもしれないけれどやっぱり希望で、それがなにかを生み出したり、人の心を動かすことはあると信じたい。
どうしてこんなことを書いたかというと、最近やっぱり落ち込むことがあって、友達に枡野浩一の『あるきかたがただしくない』を勧められたからだ。
週刊誌の連載が主としてある本なのだけれど、どんなネタを書いていても気がつくと会ってくれない離婚した奥さんと、会わせてもらえない息子の方向に話題が逸れ、気がつくと元奥さんに語りかけている。
届けることができない手紙を、届くかもしれないからと、公衆の面前に晒すということをTwitterが出てくる前から引き受けているセンパイがいることに、勇気づけられた。(それで、昨日からタイトルが短歌になった)
何年か経って、くだんの女の子と再会したら、昔ぼくが勧めた小説家や映画監督をいまだに追いかけいて、この子の中にもちゃんとあの時間はあったのだな、と嬉しくなった。
僕はというと、今では恋愛感情や辛かったことは忘れてしまって、ただ一緒にいた時の愉快な気分だけ思い出す。倫理的にどうなん、と言われかねないへんな状態、というか客観的にみると単にその娘の浮気だったのかもしれないけれど、自分の中では女の子との関係の理想形になっている。
だから、またそのうち猫みたいにうちにやってくればいいのにと思わないでもない。
ゴイステをあの娘におくる真夜中のMSNメッセンジャーで
高校生の頃、会ったことのない女の子と夜な夜なお喋りをしていた。
当時はテキストサイト全盛期で、個人サイトの掲示板でのやりとり、みたいなことが結構あった。
テキストサイトにはだいたいプロフィールがあるのだけど、そこではしばしば「前略プロフィール」が使われていた。
「前略プロフィール」というのは、質問に答えていくとプロフィールが作れるSNSのはしりみたいなサービスで、そんな形式だからなのか妙にテンションの高い独り言みたいな自己紹介ができあがるので、今ではネットの黒歴史として名高い。
サイトが面白かったりプロフィールをみて趣味が合いそうな人にはメールを送ったりしていた。牧歌的な時代だった。
まあだいたい、2、3日メールをするとどちらともなく連絡しなくなる。
別にそこでリアルな友達を作ろうとか恋人を作ろうというモチベーションもなかったし、学校の友達には話したことはなかったので、暗い暇つぶし、程度に思っていた気がする。
ある日、妙に大人びた文章を書く女の子を見つけた。
色々なことに怒っていて、でも感情的になりすぎず、その源泉みたいなものを冷静に分析していた。
好きなものについて書くときだけ年相応の女の子らしい文章だった。
病んだ文章だとは思わなかったけど、時折、リストカットのことが書いてあった。
周りにリストカットをやっているという人はいないし、そういう「病み」みたいなものは遠ざけてきたのだけれど、当時中学三年生だったその娘が書いた
リスカは生きるためにやるんだよ
から始まる血のあたたかさに関する文章を、それが常套句だとわかった今でも時々思い出して、どんな気持ちで書いたのだろうと想像する。
「前略プロフィール」に載ってる自撮りをみると、華奢で、色白で、黒髪のショートカットで、大人しそうなのに少し気の強そうな目をしていて、今までに出会ったことのないタイプの女の子だな、と思った。
もちろん、10年以上前のガラケーで撮られたとても解像度の低い写真なので、半分以上は想像力で補われた容姿だ。
都会に住んでいて、ひとつ年下。
好きな音楽はラルク・アン・シエル。
パンクキッズを自認していたので、趣味は合わなかった。
それでもなんとく気になって読み続け、ある日文章の感想を書いてメールを送った。
女の子に送ったのは初めてだったと思う。
返事があって、しばらくやりとりしているうちに「メッセしようよ」と誘われた。
メッセというのはMSNメッセンジャーというチャットアプリの事で、今でいうとskypeやGoogleハングアウトとかLINEに近いと思う。ちなみに音声通話の機能は、当時はなかった。
それから、その娘と夜な夜なMSNメッセンジャーを使ってやりとりするようになる。
音楽を聴いたりギターを弾いたりネットを見て回ったりするかたわらにチャット画面があって、成績がどうだったとか彼氏が触ってきて嫌だとか母親ともう何日も会話をしていないとかツラツラと話しかけてくる。
一緒に部屋にいるみたいな感じがした。
僕もバンドのことや、好きな子ができたり付き合ったり別れたりするのを、その娘に話した。
週に1、2回、だいたい夜半過ぎからどちらともなくメッセージを送り合う関係が、数年続いた。
高校二年生のクリスマスの間際にゴイステの「BABY BABY」が使われているFlashをみつけて、URLを送った。
一番好きなバンドなんだけどもう解散してしまっていること。
でもボーカルの峯田和伸はブログを更新しているから、ずっと追いかけていること。
誰かの人生を変えてしまうような特別な存在であることを伝えたくて、生きずらそうにしているその娘に響けばいいなとキーボードを叩いたんだけど、いい曲だね、くらいの反応だった。
それから僕は大学生になってパソコンをあまり開かなくなって、その娘には時々メールは送っていたんだけど、ある日送ったメールにエラーメールが帰ってきて、もう全く連絡がとれなくなってしまったことを知る。
峯田和伸は銀杏BOYZとして活動を始め、ゴイステの歌もいくつか新しいアレンジで歌い続けていたのだけれど、だんだん露出が減っていって、3年前にアルバムを出した後でメンバーがミネタを残して全員脱退してしまった。
ミネタはひとりで活動を続けるらしい。
去年の末に『きれいなひとりぼっちたち』という銀杏BOYZのトリュビュートアルバムが出てから、ずっと聴いている。
正月なので実家に帰るために高校生の頃毎日使っていた電車に乗って、ミネタの曲を聴く。
あの娘のことが好きだったなと思う。
銀杏BOYZ&『きれいなひとりぼっちたち』コラボレーション・トレイラー映像
心が弱った時に聴くtheピーズ
結成30年の記念日に初の武道館ライブがあるから、とかではくて、心が弱っているからピーズの歌を聴いている。
ボーカルのハルくんはべつに、元気出せよ、とは歌わない。むしろ突き放してくるような感じなんだけど、説教くさかったり、癒そうとしてこないところが、本当に落ち込んでる時は心地いい。
そういえば元気な時ってピーズを聴かない。
だから、熱心なファンというわけではないし、アルバムを満遍なく聴き込んでいるわけでもない。
ただ、キツかった時に支えられた曲を独断と偏見で紹介したい。
グライダー
寄る辺もなくふわふわと不安定に生きる様子をグライダーに例えた歌。
10年前も10年先も
同じ青な空を行くよ
という歌い出しを聴くと、今追い詰められている自分が、特殊な切り離された状況にいるんじゃなくて、人生という連続の中の一部分を経験してるだけなんだなと妙に安心する。
生きのばし
受け入れがたい現実を受け入れたくないがために、布団に入って(そんなこと起こるはずないのに)ただただ状況が好転するのを無気力に待ってる感じ。積極的に生きるんじゃなくて、生きのばしだっていいじゃんかと思う。
線香花火大会
オチだけはどいつも同じ
たどりつくまでややこしい
というなんともやけっぱちで、妙に納得する人生観が歌われる。
なんだけど
花火が残ってる
しばらくは つきあうよ
っつって、線香花火大会は続く。
むちゃくちゃ落ちてる時に聴く。
ひとりくらいは
これは仕事で上手くいかなくて終電逃した時とかフラれた後に夜中の町を歩いてる時に聴く曲。
この夜の何処かに、ひとりくらいは似たような奴がいるはずって曲で、別になんの励ましでもないんだけど、そういう想像には何度も助けられた。
日が暮れても彼女と歩いてた
絲山秋子が『逃亡くそたわけ』の中でこの曲のイントロのベースを
4B鉛筆のような柔らかい太さのベース
という風に表現していて、比喩とはこう使うのだなぁと思った。
控えめに言っても、名曲だと思う。
きっと恋愛の歌なんだろうけど、個人的には現実に当てはめて聴くというよりは、誰でもない「彼女」をイメージしながら聴いている。
絲山秋子も書いているけれどライブの時は途中から「きがふれても彼女と歩いてた」と歌っているので、「彼女」はきっとそんな時でも一緒にいてくれる女の子なのだと思う。
どっかにいこー
彼氏がいる女の子を好きになっちゃった時に聴く曲。
この間飲んだ友達がまさにこの状況で、こればっか聴いてると言ってた。
Hey君に何をあげよー
好きな女の子に何をあげよーかと考える歌。
明るい調子の曲なんだけど、恋愛がうまくいっていない時に聴くと初心を思い出し自分の身勝手な気持ちがいろいろなものを台無しにしてしまっていることに気がつく。
実験4号
君と最悪の人生を消したい
とか
確かに未来が昔にはあった
みたいな落ち込んでる人向けのパンチラインが連発されるんだけど、ひととおり落ち込んだ後に落ち込むのに飽きちゃった、みたいな清々しさがある曲。ちょっと気持ちが安定してきたら聴く。
絵描き
わりと新しい曲なので、ハルくんが少し大人に感じる。まだ描くだろう?と問うてくる彼はきっと、ひたすら優しい人なんだろうなと思う。
ピーズは他にも名曲がたくさんあるけど、今日はこのあたりで。
落ち込んだら聴いて、生きのびましょうね。
ラブコメ漫画好きに読んで欲しい『春と盆暗』
ブログをはじめる。
ラブコメからはじめたいと思う。
『春と盆暗』が面白い。
今年の9月(2016年11月号)から『アフタヌーン』で始まった、熊倉献という漫画家の、はじめての連載作品である。
一話読み切りのオムニバス形式で、男女の出会いが描かれる。
初回の柱の紹介文には恋愛譚、とある。
第一話の冒頭、「接客以外、接客以外」とつぶやきながらアルバイト情報誌を読んでいた主人公が、通りかかったスーパーで可愛い女の子店員と目が合い、笑いかけられる。次のコマで主人公はスーパーのレジ打ち、つまり接客業に就いている。
わずか2Pのオープニングで軽やかに描かれる春(恋)と盆暗(主人公)。
恋愛譚、とりわけラブコメにおいて「恋に落ちた」という説得力は、とても大切だ。
そしてラブコメを面白いと思うには、実は同性を愛おしいと思えるかにかかっていると思う。
この作品は、のっけから僕のボーダーを乗り越えてしまった。
さて、そんな巧みなこの物語が描いているのは異性の謎と気づきだ。
女の子を目で追いかけるような日々の中で、主人公の頭の中にいくつかのイメージが浮かび上がってくる。
イメージは次第に連なっていく。頭の中が、現実に重なる。
あくまで日常を描いているのに、SFとか奇想と呼びたくなるよな想像力だ。
やがてパズルのピースが組み上がるようにイメージが立ち上がった時ボンクラは、気がつく。